私と摂食障害 1 の続きです。
1 の記事で、家族の事に触れましたが、私が摂食障害になった原因は家族関係だけではありません。
自分自身の挫折や、環境の変化、人間関係、恋愛など様々な要因があるのです。
家族に愛されていたし、なに不自由なく育ち、楽しい思い出もたくさんあります。
家族が悪い訳ではありません。
登山旅行は有名な避暑地でした。
夏でしたが、脂肪が少なくなり、食べていないので、代謝が悪く、鳥肌を立てていました。
山を登り、湿原を探索し、とにかく歩きました。
階段を登るのも辛いのに、2時間の登山と、1時間の探索。
辛いの一言でした。
旅行中はなるべく食べるようにしていましたが、夕飯は少し吐いていました。
もちろん、登山で摂食障害が治る訳がありません。
その後も、体重は減り、35kgになっていました。
生きるのが辛く、早く歳をとっておばあちゃんになりたい、そうすれば体重や飢餓に振り回されないとよく考えていました。
家族へ訴えても無理なら、保健室の先生に相談しよう。
保健室の先生は、私の話を聞き、両親に私を病院に連れて行くように言ってくれたのです。
ようやく、楽になれると思いましたが、実際は楽になんてならないのです。
某大学病院で初めて会った医師は、60代の内科のおじいさんでした。
医師は私に笑顔で言いました。
「摂食障害だね。膝の骨が出でいるから、転ぶと骨折するので自転車通学は禁止です。体育の授業も禁止ですね。エンシュアリキッドを出しておくから、1日に2本は飲んでね」
「抗鬱剤も出しておくので、不安な時に飲んでください」
一瞬で、この人何も分かってないと思いました。
フリスク一粒も怖いのに、1缶250kcalもある、ハイカロリーな飲み物を2缶も飲める訳がない。
処方された、大量のエンシュアリキッドは一缶も飲まずに終わります。
その後、カウンセリングにまわされ、今一番やりたいことを聞かれました。
「たくさん食べて、吐きたい」
思っている事を正直に言いました。
拒食症は食べたくなくなるのではなく、食べたいけど太るのが怖くて食べられなくなるのです。
飢餓から来る食欲は、普通に食べたいとは異なり、健康な人には考えられない衝動です。
上手く表現できないのですが、手が震えるほど食べたい、理性ではコントロールできないほど食べたいのです。
このあたりから、過食嘔吐という闇に引きずり込まれます。
病院の帰りのスーパーで、お菓子、お弁当、菓子パン、揚げ物を買い込み、家に着くと黙々と食べ始めました。
買ってきた物だけでは、足りなく家に置いてある食べ物も次から次へと、詰め込んでいきました。
今まで張り詰めていた糸がプツリと切れる感じです。
食べるのを我慢して我慢して、限界を超えタガがはずれたのです。
過食だけで、嘔吐や下剤、過活動などの排出行動をしない方もいます。
私の場合、拒食の排出型になるのでしょうか。
吐くのは難しくありませんでしたが、なかなか吐けない時もあり、数時間苦しむ事もありました。
無理矢理、吐くので喉が内出血を起こし、首に赤い斑点が出るようになります。
吐くのは苦しいですが、体重が増えるのは許せなかった。
水やお茶を大量に飲み、なんとかして吐いていました。
家族はそんな私に困惑していました。
私も、もちろんコントロール不能の食欲に訳が分からなくなりました。
一日中、過食嘔吐に明け暮れ学校に行けなくなりました。
無理に吐くので、喉が切れて吐血して救急車で運ばれた事もあります。
始めは心配してくれる友人もいましたが、そのうち徐々に離れていく友人がほとんどでした。
当時、付き合っていた彼氏にも「自分には今のsachiを理解する事ができない」と言われ、振られました。
泣きましたね。
どんどん孤立していきます。
学校に行けなくなり、進学できない可能性があると、担任の先生が家に来て、両親と話していました。
留年や退学も考えましたが、何とか行ける時だけ授業に出て、ギリギリで進学できました。
その後も、学校には卒業するためだけに行くという感じで、ただ授業に出て帰って来る。
誰とも話さず、只々、教室の椅子に座っているだけ。
卒業式は出席できませんでしたが、卒業は出来ました。
自転車通学が出来ず、食べられる物が偏っていたので、母は学校の送り迎えとお弁当作り、仕事と本当に大変だったと思います。
卒業出来たのは、家族のおかげです。
卒業しても、症状は悪化し、何度か倒れて入院しています。
低栄養のため、記憶が曖昧です。
点滴の針が細い血管になかなか入らず、何度も刺され、激痛だった記憶はあります。
卒業して半年ほど経った頃、大学に行きたいと思い始めました。
そして予備校通いが始まります。
その頃の体重は33kgくらいでしたね。
拒食と過食嘔吐を抱えたままでは、勉強に集中出来ませんでした。
精神的にも不安定でしたので、試験も散々な結果でした。
第一志望校には行けず、何校か受けた私立大学の一つに入学します。
実家からは遠かったのですが、一人暮らしが出来る状態ではなかったので、片道2時間の通学をしました。
父が毎日、駅までの送り迎えをしてくれました。
仕事も忙しかったのに、何も言わず毎日。
感謝しています。
私と摂食障害 3 に続きます。
mascaraさん、応援しています。必ず、完治します。絶対、mascaraさんは、治ります。私は、そう思って、mascaraさんのブログ更新を楽しみにしています。今は、山も谷もあると思います。超えきれるか不安になったり、泣いてしまったり、自分ながらに情けなくなったりも、あって当然です。でも、きっと、懐かしく思う日がきますよ、絶対に。
諦めないで下さい。mascaraさん、治りますから。