摂食障害が長くなると、支える家族のストレスも大きくなります。
過食嘔吐や食べられる物が限定されているため、食費もかさみます。
通院費、入院費、薬代など家計の負担も増えます。
摂食障害は本人とその家族を、全て巻き込み暗い闇へと引きずり込んでいくのです。
大学を卒業して、就職もしなかった私は目標を見失います。
家で何もする事がないと、過食嘔吐したくなり、過活動気味になり一日を過ごすのがとても辛くなりました。
主治医にその事を話すと、
「日本で一番、摂食障害に力を入れている病院に入院してみるか?」
と言われ、家族と相談した結果、今より良くなるならと転院をさせてくれました。
その病院は、実家から飛行機で2時間くらいかかる、とても遠いところでした。
一度、診察を受けて二度目には入院です。
見知らぬ土地とこれからの治療に、不安でいっぱいでした。
母が
「とうとう、こんなに遠くまで来ちゃったね」
とつぶやいていたのを覚えています。
私を担当する医師は、若い女医の方と年配の男性医師でした。
同じ摂食障害の患者が約20人、1型糖尿病の患者が約5人いました。
摂食障害でも、ガリガリの人、普通体型の人、少し太めの人、様々です。
IVHをしている方も、数人いました。
この病院の治療法は、行動療法で、始めは行動を制限され、体重が回復してきたら、制限が解除される治療法です。
行動の制限とは、始めはベッド上で安静。
本もノートも、テレビや電話も禁止です。
もちろん、携帯電話の持ち込みも禁止です。
食事は一人一人、摂取カロリーが決まっていて、食事の時間になると、全員で食堂で食べます。
食堂には監視カメラが付いていて、隠れて捨てていないかなどのチェックが入ります。
確か食事時間は30分と決められていて、過食のように早食いも、じっくり時間をかけて食べる事も出来ないようになっていました。
看護師の方がストップウォッチを持って、時間を計っていました。
異様な空気です。
体重が増えたら、読書は出来るなど徐々に制限を解除されます。
行動療法により、一年以上も病室から出たことがいない人もいました。
私のその時の体重は31kgでした。
目標体重を42kgに設定され、治療が始まりました。
数日は頑張れたのですが、過食衝動が起き、無断外出を何度かした結果、強制退院させられます。
無断外出の他、同室の患者とのトラブルも退院の原因でした。
この頃も、栄養状態が悪く自制が効かず、過食のためなら無断外出も悪いとは思っていないですし、泣いたり、叫んだりもしていたのでしょう。
記憶が曖昧です。
強制退院だと連絡を受けて、母が飛行機に乗って私を迎えに来ました。
母は病院の方々に、何度も謝っていました。
私には
「お願いだから、吐かないで」
と泣きながら言っていました。
いま思うと、母に本当に申し訳ない事をしたと思います。
迷惑と苦労ばかりかけてしまった。
実家に帰る飛行機の搭乗開始前に空港で倒れます。
歩く事ができなくなり、車椅子で空港の医務室に運ばれ、横になったのは覚えていますが、この辺りも記憶が曖昧です。
何とか実家に帰りましたが、この先どうやって生活したらいいのか、訳が分からなくなっていました。
家族は何もなかったように迎え入れ、接してくれたのが、唯一の救いでした。
そして、主治医はもう一つの病院への転院を勧めてきました。
最後に行き着く病院。
閉鎖病棟がある精神科です。
今までの入院とは根本的に何かが違っていました。
私と摂食障害 5 に続く。