摂食障害になった要因の一つに、『自分の感情に蓋をする』があると思います。
私は生まれた時から否定されていました。
理由は簡単です。
女だからです。
実家は明治時代から代々続く自営業です。
男の子の後継が欲しかったようです。
私には姉が一人いますので、二番目は是非とも男の子と望んだのです。
小さい時からよく言われた言葉が「sachiが男だったらねぇ。」でした。
それって遠回しにいらない子と言われているようなものです。
だから、必死でした。
いい子でいること、波風を立てないこと、嫌われないこと。
ずっとずっと心にあるのは、大きな不安と寂しさです。
でも、淘汰されるのが怖かったので、言葉で表すことは出来なかったです。
母に気にかけて欲しかった。母の気を引きたかった。
父に甘えたかった。トラックに乗せてもらいたかった。
小学5年の時に仲のいいグループの全員に無視されてから、『自分の感情に蓋をする』は益々、強くなっていきました。
誰かに嫌われることが極端に怖くなりました。
意見の対立や、考え方の違いも上手く主張できません。
摂食障害への入り口に立った時、生き方が分からなくなっていました。
自分がどんなに努力しても勝てない人や、我慢しても上手くいかないことの多さに気がつき、これから先どうやって生きていけばいいのかが分からなくなっていました。
体重を減らすことだけが、努力や我慢で成果が目に見えて出たのです。
ほとんど食べずに、脅迫的に運動するのは苦しかった。辛くて仕方なかったけど、それに頼ってもいました。
体重が減れば、不安や寂しさから目を背けることができたのです。
その内に限界が来て、両親に自分は摂食障害だと訴えますが、全く受け入れてもらえなかった時、目の前が真っ暗になり、絶望しました。
ようやく苦しくて辛いと言えたのに、完全に拒否されたのです。しかも、一番嫌われたくない両親にです。
一旦、自分の感情の蓋は静かに固く閉じました。
やはり私は価値のない人間で、受け入れてもらえず、必要ともされていないのだと思いました。
ガリガリに痩せて、感情に蓋をした私は、もはや生きているのか死んでいるのか分からない状態でした。
辛くて苦しくて、どうしていいか分からず、一秒一秒が苦痛で怯えていました。
階段を登るのものも辛く、低体温で寒くて冷え切っている身体。
時折、猛烈に襲ってくる食欲との戦い。
太る恐怖。
そして、不安と寂しさは再び、私を覆い尽くしました。
夫に出会い、自分の感情や意見、考え方などを主張していいのだと学びました。
夫は嫌われてもいい、喧嘩になってもいい、波風立てるのは当たり前という人です(笑)。
『自分の感情に蓋をする』を徐々に蓋を取る練習中です。
今は、体重や体型に縛られ、カロリーや糖質制限、美味しく楽しく食べること、食べたいものを罪悪感なく食べる事が出来ず、辛い事も多いです。
苦しさや、辛さは言葉にするのは難しいですが、一人でつぶやく時もあります。
例えば、過食嘔吐している時に、苦しいと言ってみたり、上手く食べられない時に、もう嫌だと言ってみたり。今の感情を言葉にするように心がけています。
自分の意見や、思った事はだいぶ言えるようになりました。(まだまだですが…)
そこで嫌な空気になっても、喧嘩になっても仕方ない事だと思うようにしています。
他者にどう思われるかを考えるより、自分はどう思うのかの方が大切な気がします。
『自分の感情に蓋をしない』が回復に繋がる一つだと思うのです。