原因から回復を考える
摂食障害の始まりは、ダイエットが多いと思います。
私もダイエットから始まりました。でも、途中から何かが違ってきます。ダイエットと摂食障害の境界線はとても難しいところですが、摂食障害はダイエットの延長ではありません。病気です。
体重を減らすこと、食べないこと、低カロリーの物ばかり食べる。食べて吐く。どんなに疲れていても、運動が止められない。コントロール不可能なのです。
「太るくらいなら、消えた方がマシだ。」
そんなことを本気で考えてしまうのは、やはり異常だと思います。
私が摂食障害になった原因を、掘り下げて考えてみました。
心の根底にあるのは、寂しさ、不安、孤独、自己肯定感が持てない。
幼少期から寂しくて、不安で、気がついて欲しかった。4歳くらいから、自傷や嘔吐をしていたので、根は深いです。
摂食障害になるまで、ずっと無理をして生きてきたと、今は思えます。
具体的に。
・大人の顔色をうかがう。
・自分の感情に蓋をする。
・出来ないことは、努力すれば出来るようになる。
・出来ないのは自分の努力の努力不足だ。
・淘汰されないようにする。
・周りと自分を比較して、人より優れた人間になる。
・寂しくても、寂しさを言えなかった。
・助けを借りるのが、下手だった。
努力すれば何でも出来る。出来ないのは、努力不足だ。という思いが強かった。
ダイエットを始めたのは、進学校に入り勉強が追いつかなくなったことと、周りが自分よりも大人に見えて、どうしたらいいか分からなくなった時でした。
1日8時間、勉強しても思うように成績は伸びず、田舎から出てきた私には、周りのみんなが、垢抜けて、大人びて、イケてるように見えた。
制服の短いスカートから出る足が、太くて嫌で嫌で仕方なかった。
今、考えると健康的な高校生だと思える。
どんなに勉強しても成績が伸びなくなった時、努力の矛先は体重になった。
痩せればきっと上手くいく。
漠然と思いました。成績が上位じゃなくても、寂しくても、痩せればそれが解消できると、強く思いました。
授業中も足の筋肉を動かしたり、食べなくなったり、雨でもウォーキングに行くなど、痩せることにどんどんのめり込んで行きました。
そして、最低体重は29kgまで落ちます。
自分と向き合う時間を作り、ブログで自分の感情や、思っていることを書き出し、ようやく本当の回復が見えてきました。
痩せても上手くいかないことはあるし(上手くいかないことがほとんどです)、無理に自分を追い込まなくても、生きていける。
努力しても、出来ないことは多い。人間関係や恋愛、友情なんかは努力でどうにかできるものではない。
上手くいかないこと、努力で解決出来ないことがあるのは当たり前。
体重や体型で、人を判断しない。
痩せていても、太っていても、大切なのは中身。これは、本当に最近、思えるようになりました。痩せていても、意地悪で自分勝手な人もいるし、太っていても、優しくて、人の気持ちを考えられる人もいる。(当たり前です)
もちろん外見は大切だと思います。人は見た目が100%という話もありますし…。
外見や見た目は、大切だけど、人と深く関わった時に一番大切なのは、その人の人間性や中身だと思うのです。
病的に痩せて、心配してもらったり、気にかけてくれるようになったと思っていましたが、別に病的に痩せなくても、
「心配して」「気にかけて」「寂しいよ」
と言えばいい。
辛かったら、誰かに助けてもらってもいい。大きな声で、「辛いよ!」「苦しいよ!」「誰か助けて!」と叫んでもいい。
泣いて、自分の気持ちを誰かに聞いてもらえばいい。
病的に痩せていることが、出来ないことの言い訳になっているなら、それも止めていい。
健康でも出来ないことなんて、沢山ある。出来ることなんて限られている。
私は健康でも、どんなに頑張って努力しても、学者や医者にもなれないし、モデルや女優にもなれないし、明るくて心が広く、優しい人にもなれない。
出来ない自分も、受け入れる。許す。
気楽に、「だって、出来ないんだもん。」と言えるようになりたい。
痩せれば、周りから「すごいね。」「きれいになったね」とか言われるけど、言った人はそんなこと、すぐに忘れる。
太れば、「ふっくらしたね」「太った?」とか言われて、傷ついたり、また痩せたくなるけど、そんなことを言う人は、デリカシーがなく、人の気持ちを考えない人か、何にも考えてない人。そういう人は、自分にとって大切な人じゃない。
自分が大切だと思う人を、大切にして生きていけばいい。
今日、体重を測ったら、1年前より、4〜5kgは増えている。
不安だけど、嫌だけど、身体は楽だし、食べる幸せもあるし、精神的にも落ち着いている。
これから、どんどん体重が増えたら、パニックになるかもしれないけど、なった時に考えよう。
長くて、まとまりませんが、最近の思いでした。