私と摂食障害 5 *精神科への入院*
転院した病院は、実家から電車とバスを乗り継いで2時間半ほどかかりました。
海と山に囲まれた、その病院はとても古く、暗い感じの病院でした。
初診の時、担当医師が信じられない事を言います。
「あなたの今の体重では、まともな話が出来ない。完全に狂っています。人間の思考が出来なくなっています。病気に甘えていて、依存している。本当に厄介ですね。これ以上、あなたと話しても無駄な時間になるので、体重を38kgにしてください。38kgがある程度まともな話が出来る最低体重です。それまで、面談はしません。次に来る時には、入院の用意をしてきてください。」
この医師は私を人間として見ていないのです。
泣きながら帰りましたが、両親も私をどうしていいか分からず、家に置いておくことは出来ないと思っていたので、一週間後に入院します。
初めての精神科への入院。
そして、閉鎖病棟もあります。
私は夜だけ鍵がかかる、半閉鎖病棟に入院します。
入院するにはまずは、徹底的に持ち物検査をされます。
刃物や薬、その他、全ての持ち物にチェックが入ります。
趣味でビーズアクセサリーを作っていましたが、それに使う接着剤やペンチなども没収されました。
病室もショッキングなものでした。
6人部屋でしたが、普通の病院にはある、仕切りのカーテンがないのです。
プライバシーは一切ありません。
自分の病室以外への出入りも禁止です。
薬は飲む時には、看護師の前で飲んで、きちんと飲んだか口の中を見せます。
入院して分かりますが、この病院の医師も看護師も患者を人間扱いしません。
様々な依存症の方が入院していて、摂食障害の方は3割くらいでした。
薬物依存、アルコール依存症、ギャンブル依存症、男性依存症、鬱病、買い物依存症、何でもありです。
私は最低、3ヶ月の入院の約束でしたが、今すぐにでも逃げ出したかった。
こんな所にはいたくない。
私の担当の看護婦さんは、とても親切にしてくれました。ありがたかったです。
まだ、新人で私が初めての患者だと言って手紙を書いてくれたりもしました。
入院中はビーズアクセサリー作りや刺繍をする事が、多かったのですが、看護師に申し出て、ペンチや接着剤、刺繍のための針を貰う必要があったので、面倒で絵を描いて過ごしていました。
同室に歳が近い女の子がいたので、その子とはよくおしゃべりしていました。
ここでの生活は、苦痛の連続でした。
とにかく体重を増やさないと、面談も退院も出来ないので、頑張って食べましたが、やはり体重が増えるのは怖かったです。
ここでも過食嘔吐をしていましたが、隠れて食べる事は出来ないので、回数は減りましたね。
この病院は精神科なので、どんどん薬を出してきます。
眠れないと、頓服の薬を出されるのですが、強すぎて2日位、眠ったままの時もありました。
どうやって2日間、過ごしたか記憶がないのです。
とにかく早く退院したかったので、怖くても体重を増やしました。
33kgから38kgになり、初診の時の医師と面談しましたが、この医師が大大大大嫌いだったので、何も聞いていませんでした。
体重が増えても3ヶ月は、ここにいなくてはいけないので、仕方なく過ごしました。
外出は出来るようになったので、一人で買い物に行ったり、仲良くなった子とカラオケに行ったりもしました。
摂食障害の勉強会や、運動の時間もありましたが、楽しいと思った事はありません。
よく母に、帰りたいと泣いて電話をしていました。
母もかわいそうと言いながらも、どうしようもないと思っていたのでしょう。
我慢して、よくなって帰ってくるように言われました。
厳しい入院生活をようやく終えて、退院した私は25歳になっていました。
「25歳は肌の折り返し地点だから、肌のお手入れはしっかりするのよ」
と男性の摂食障害の方に言われた記憶があります。
この入院で得た事は、体重が減りすぎるとここに来るしかない、との戒めと体重が増えた事以外はないと今でも思っています。
二度とここには来たくないと思いました。
私と摂食障害 6 に続きます。